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3Dプリンタの明日を妄想する

本コラムでは3Dプリンタに関係する業界のオピニオンリーダーに、3Dプリンタの現在、未来を語っていただく。明日は誰にも分からない。だからこそ、夢や妄想が明日を創る原動力になる。毎回、次の著者をご指名していただくリレーコラムなので、さまざまな視点での3Dプリンタの妄想をお楽しみください。

 

 
 

Imagination for 3D Printer

第23
アートと3Dプリント

小林武人/ポストデジタル・アーティスト

慶應義塾大学環境情報学部卒。東京工科大学クリエイティブ・ラボ、株式会社ゴンゾを経てフリーランスに。現在は“ポストデジタル・アーティスト”として、CGや3Dプリントなどのデジタルツールを“筆”として使いこなし、立体作品から映像まで幅広く制作。海外でも積極的に活動しており、美術家 坂巻善徳 a.k.a. senseとのコラボレーションプロジェクト「XSENSE」では、デジタル作品をストリートアートに活かし、ミューラル(壁画)を制作(コロラド州、デンバー)。また、独自の世界観を持つアニメーションを舞台美術として使い、コンテンポラリー能劇団とコラボレーションで公演も行った(サンフランシスコ、デンバー)。自身の作品制作の他に、NPO法人JOMONISMが行う「ARTs of JOMON」展のキュレーションも担当。縄文文化から影響を受けた現代美術作家を世界に紹介し続けている(青森県立美術館、スパイラルガーデン、デンバー国際空港、クアラ・ルンプールなど)。目に見えないモノ、感情、エネルギー、意識の次の次元…などをカタチにすることがミッション。現在はシンガポール在住。
https://humanoise.artstation.com
https://www.instagram.com/humanoise/


 

ポストデジタル・アーティストの小林武人です。アーティスト/彫金師の坪島さんからバトンを受けまして本稿執筆させていただきます。よろしくお願いします。さて3Dプリントに関わる方々がいろいろな角度から3Dプリントを掘り下げているこの連載ですが、僕はアートと3Dプリント、アートと技術の関わりについて書いていきます。

●ポストデジタル・アート


まずは僕が肩書きにしている「ポストデジタル・アーティスト」を切り口にしていきます。この連載を読んでいる方の多くがポストデジタル(アート)というタームを耳にしたことがあるかと思いますが、一般的にはまだ馴染みが薄いかもしれません。

2017年にオーストラリア、シドニーを訪れた際に「out of hand -materialising the digital」という展示がMAAS(Museum of Applied Arts and Sciences/応用芸術科学博物館)で行われているのをたまたま見かけ、「これは!」と思い入ってみました。平日の閉館間際の展示にはまったく人がおらず、今までWeb上の写真でしかみたことがなかったアーティスト/デザイナーの作品を生で堪能できました。

3Dプリント、レーザーカッターなどのデジタル機器を駆使し、ファッションとテクノロジーを融合し続けているIris van Herpen(写真01)、
3Dスキャンしたアーティスト自身の全身を3Dソフトでディフォームし、波打った形状のセルフポートレートを作るRichard Dupont(写真02)、
3Dプリントしたコップと、その同じデータを2進法で記述したものを紙にプリントし(かなりの量の紙の束)、並べて展示するというコンセプチャルな作品のKijin Park(写真03)、 などなど、そうそうたるメンバーでした。


写真01:Iris van Herpenはデジタル機器を駆使しファッションとテクノロジーを融合。(クリックで拡大)
引用元:https://www.irisvanherpen.com/

写真02:Richard Dupontによる波打った形状のセルフポートレート。(クリックで拡大)
引用元:
http://www.richarddupont.com/


表写真03:3Dプリントしたコップとそのデータをプリントして展示。(クリックで拡大)
引用元:
https://isabellemoran.wordpress.com/2017/03/29/out-of-hand-materialising-the-digital/


図録によると「out of hand」展は2013年にニューヨーク、Museum of Arts and Designで行われたものを新たにキュレーションし直した展示とのこと。2013年といえば僕が初めて3Dプリントで作品を制作、展示した年なので、”ポストデジタル”というコンセプトに関しては海外にだいぶ先んじられているなと感じます。

では、”ポストデジタル”とは何か? ということになりますが、人により解釈は異なると思いますが、僕の定義は、

◯当然ですが、デジタルツールを使っている。3Dプリントをはじめとし、CNC、レーザーカッター、デジタル・ニッティングなど、手法は多岐にわたります。

そして、
◯デジタルツール/テクノロジの特性を理解し、それが結果としての作品/形状に反映されていること。
MIT教授のNeri Oxmanがストラタシスのプリンタを使ったvoxcel printという3Dプリントの手法自体を開発し、その手法でなければ作り得ない作品を創造したことが良い例です(Researchers Develop Multimaterial Voxel-3D Printing Method)。

そしてもう1つが非常に主観的な話ですが、
◯デジタルツールというバーチャル(身体性の欠如)なモノに対して、アーティストがフィジカルなつながりを持っていることです。

本来アートとは技術のことです。目には見えないもの、エネルギーの流れ、人のつながり、愛や平和、その他さまざまなコンセプトを、目に見えるカタチに落し込むためのテクノロジーです。

伝統的なアート、絵画、陶芸、彫刻においてはマテリアルとの対話が欠かせないものでした。例えば、陶器を作るときには「土」というマテリアルがあり、その強度、粘性と重力のバランスにより形の枠が決まってきます。手、指先を通じた土というマテリアルと対話というフィジカルな行為により作品に「魂」が吹き込まれるという、アニミズム的な考え方でした。

それに対して「デジタル・アート」の特徴は「身体性の欠如」と言えます。僕が行う3D CGソフトを用いての立体物制作工程は、完全にバーチャルなものです。バーチャルな空間で作品制作を行うことにより、既存のアートがかならず直面しなければならなかった“重力”と“マテリアル”の限界から開放された造形を行うことができます。

もちろん3Dプリンタを用いて作品をマテリアライズすれば重力の制限をうけることになるのですが、制作の段階で重力に囚われるということはないのです。この自由な場を作品として発表するには映像か画像、2D的な手法しかありませんでした。しかし、3Dプリントを始めとするデジタル機器=新しいアートのツールのおかげで、ポストデジタル・アーティストは自由にアナログとデジタルを行き来する越境者となったのです。

●3Dプリントの未来

僕が3Dプリント(とデジタルテクノロジ)を使って具現化させたい未来は「すべての人がクリエイター/アーティストになる」というものです。まあ“すべての”というのは大げさですが、その方が楽しいし、いい地球になるよ、と言いたいです。

では何故クリエイターになることが大事なのか? 先に答えを言ってしまうと「人間はモノガタリを求める生き物」だからです。

縄文時代には(諸説ありますが)すべての人が土器を作っていた、と僕は想像しています。作る人と使う人の境界はなく、すべての人がクリエイターであり、自分もしくは同じコミュニティのメンバーが作った土器は単にモノではなく、そこには物語や感情が込められており、モノに対してアニミズム的なつながりを感じていたはずです。

18世紀後半にイギリスから始まった産業革命以降、モノは工場で画一的に大量に生産されるようになりました。モノが足りなかった時代には、生産性や合理的を重視したロジカル・シンキングが必要でした。現代の飽和した社会、我々はモノには満たされていますが、そこからはアニミスティックなつながりが欠落してしまっています。”つながり”の欠落が今地球で起こっている環境破壊、プラスチックによる海洋汚染等の問題を引き起こしているのではないでしょうか。

3Dプリントの素晴らしいところは、製造を個人の手に取り戻したことにあります。今までは工業レベルの設備がなければ作れなかったような製品、パーツでも個人で製作できるようになりました。これは技術の進歩がモノづくりを一周させて現代と縄文時代をつなげたと言えます。

3Dプリントによりパーソナライズされた製作により、我々は再び自らの“モノガタリ”を“プロダクト”に編み込むことができるようになりました。アートは人それぞれの中にあるモノガタリがマテリアラズされたものです。日本では、人口の減退もあり、これ以上の経済的な発展は望めません。そのような時代に置いて個々の中にあるモノガタリ=アートを見つけ出していてくことが衰退する経済と個人の幸せのバランスにつながっていきます(図04)。


図04:経済的発展と個人の幸せのバランス。(クリックで拡大)



では、どうすればすべての人がクリエイターになれるのでしょうか? いろいろな越えなければならない壁はありますが、技術サイドの話をするのであれば、3Dプリンタが電子レンジと同じぐらいのレベルで使えるように進歩しなければならないと思います。

「スター・トレック」にレプリケータという装置がでてきてきます。自分が食べたいものを端末に向かって音声入力すると、機械が分子を操作してそれを作ってくれるという、それです。レプリケータもプログラムすることでまったくオリジナルな物(料理のレシピであったり、電子機器でも)も作れるそうですが、レプリケータとまではいかなくてもそれに近い簡単さで、自分のオリジナルなものが作れるようになるにはAIの助けが欠かせません。現在もAI、マシン・ラーニングにより3Dプリントの造形の際のエラーを減らすというのが最近トレンドになっています(AI to detect and correct 3D printing errors)。

AIによるエラー・ディテクションは工業用/建築用の3Dプリントでももちろん重要になってきますが、個人レベルで使用する3DプリントにAIが組み込まれ、自動で造形の失敗を検知、修正してくれる、あのスパゲッティ(FDMプリンティングの失敗)を体験してなくていいという個人モノづくりの“成功体験”は非常に重要だと思います。もちろんもっと未来では、万が一造形中にエラーが起こってもエラーが起こった素材は自動でリサイクルに回され、再び造形が開始。人間はエラーが起こったことにも気が付かないという状態になるのが理想です。

映画「アイアンマン」はやはり第1作目が珠玉で、見どころは戦闘シーンではなくトニー・スタークが1人(とAI)で試行錯誤しながらアイアンマンスーツを作りあげていくところだと僕は思っています。作中でトニーがアイアンマンスーツの色を決める際に、まずAI“ジャービス”がレンダリングイメージを制作し、トニーに対して提案します。トニーが目立ちたがり屋ということをジャービス(AI)は考慮にいれ、全身金色です(笑)。それに対してトニーは「ホットロッド・レッドをいれてみろ」と指示をだし、それによりアイアンマンの赤×金のカラーリングが決まったわけです。この背景には膨大な量のデータベースと計算があります。まず「ホットロッド・レッド」がどういう色か、この曖昧な指示に対する検索と決定、それをどう配置すればいいか? しかもそれは使う人、この場合はトニーの思考/嗜好を汲んだものでなければならない…etc.

「こんな感じ」、「こんな雰囲気」のものを作りたい、というフワッとした要望に対してまでAIがカタチの提案をしてくれるようになれば「モデリング」をしなければならないという障壁はなくなります。AIとともに行うモデリングは、モデリングというよりはエディティングという感覚になっていくと思います。これはモデリングに馴染みのない人に向けてだけの機能ではなく、もちろんプロフェッショナル向けにも使えます。

僕もジャービスが欲しいです。使えば使うほど自分の特徴的なシェイプ、ポリゴンの分解の仕方を学習し、例えば「この蛇のモデルに使って鱗のパーツ全部アレ風にしておいて」と言うだけですべての形状をプロシージャルに修正してくれます。ヒトの新しい発想を生み出す能力と、AIの膨大なデータベースに基づいた提案、処理能力、それぞれの特性を活かした協業が成り立つはずです。

データベースに自分の欲しい3Dシェイプがない場合は、写真があればAlがそこから自動で3Dデータを生成してくれるようになるはずです(3D Reconstruction from a 2D Image Using a Neural Network)。こうなるとこの世に存在するものは人間がモデリングをする意味がなくなり、(3D)アーティストの役割は人が今までに“見たことがない”ものを作る、“この世に存在しないもの”創ること、となります。

テクノロジーの進歩はもちろん大事ですが、テクノロジーを活用するためには良いコンセプト/考え方が必要です。僕が作品を創る際の共通したテーマでもあり、僕が未来に向かって広めていきたいのは「Boundary Dissolution(境界融溶)」です。これは、価値観や制作手法が多様化し、ネットによる無国境化が進む中で異なるモノが出会うところに新しい作品やイノベーションが生まれるという考え方です。例えば僕のプロジェクト「YAOYOROZ」では、太古/伝統と現代をテクノロジーでつなぐ、ということをテーマにしています。

伝統的な仏像のフォーマットに基づきながらも、それを現代の日本を代表する文化“サブカルチャー”と融合し、日本的なアニミズムのあり方をフルカラー3Dプリントでなければできない表現/形状に落としんだ「不動明王」(写真05)。


写真05:「不動明王」(2018年) フルカラープリント。3Dプリント協力:ホタルコーポレーション。(クリックで拡大)


本物の縄文土器は改変することができませんが、それを3Dスキャンによるデジタル化することで、同じくサブカルチャー的形状と融合、縄文とサブカルチャーをつないだ作品「Quantum Reality -量子現実-」(写真06)。


写真06:「Quantum Reality -量子現実-」(2017年) ナイロン樹脂、UV塗装。3Dプリント&仕上げ塗装協力:DMM.make+iJet。土器3Dデータ提供:釈迦堂遺跡博物館。(クリックで拡大)


アーティスト・坂巻善徳a.k.a. senseとのコラボレーションプロジェクト「More Than Human」では3Dプリントで義手、義足等の医療器具、装具を制作。“美しいもの”、“カッコイイもの”を纏うことにより身体の欠損を克服する手助けとなることを目指しています。そして克服から拡張へ、身体の欠損がデザインにより人間以上のものになった時、“障害(者)”⇔健常者という二項対立的な考え方自体が消え去っていきます(写真07)。


写真07:「More Than Human」。「Raven」(義手)「ValkyrieⅠ」(キネティック義足カバー)。(2019年) ナイロン樹脂。3Dプリント/協力:メディアマート:八十島プロシード、日本ヒューレット・パッカード(クリックで拡大)


何故Boundary Dissolutionが重要なのでしょう? その答えはシンプルでクリティカルです。

インターネット・デジタルテクノロジーの普及で、素晴らしいアイデアや知識を共有したり、ネットを介してコラボレーションすることが可能になりました。20世紀型のアイデアを囲い込み、独占するやり方より、シェアする方法の方が価値を持ち、合理的な判断となってきているのです。

しかし、残念ながらその反動として世界中の多くの国で政治的に右傾化し、少ない人々の利益に固執するパワーもまだ多大にあります。今人類が持っている技術をすべて合理的に、皆でシェアして使えるなら(個人/企業の欲に囚われず)、地球上に存在する問題のほとんどが解決できるはずです。

Boundary Dissolutionが重要なのは、多様な価値観を認め融合していかなければ、人類が滅亡する瀬戸際にいるからです。ジェネレーティブデザインにみられるように、テクノロジーが進歩し、コンピュータの処理速度が上がり、ようやく分断されていたヒトの知性が自然を模倣し、再融合することができる時代がきました。

3Dプリントのおかげでデジタル⇔アナログの境界も緩やかになりました。ポストデジタル・アーティストたちが行っているように、異なる分野をまたぎ、異なるコンセプト、素材などが出会うところにイノベーションは起こります。

テクノロジーと共に進化の次の段階はステップアップするか、このまま滅びるかは人類の、そしてそれぞれの個人の考え方/精神性次第なのです。



次回の執筆は福永 進さん/ホタルコーポレーションです。
(2019年11
月8日更新)

 

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