●これまでのモノ作りとの関わりと足跡
--:現在のお話を伺う前に、今の活動を理解するために、まず原さんのこれまでの仕事を振り返っていただけますか?
原:僕のキャリアのスタートは、東京理科大学の夜学で経営工学のソフトウェア工学を学びながら、昼は通信機メーカーの岩崎通信機に勤務していたときからですね。岩崎通信機には高校の普通科時代から入社していて、一番最初に配属されたのが部品製造部試作課でした。社内の内製化全般の試作を行っていたので、塗装、メッキ、金型、バフ研磨などモノ作りの現場をそこで経験できました。マシニングセンターや塗装ロボットのオペレーション、手仕上げまでそこで学びました。
この部署で3年ほど経験を積み、その後CAD推進センターに配属されました。そこで初めてインターネット、そして2D/3D CADに触れました。それが1987年頃です。2D CADがやっと普及し始める段階で、3D CADはまだ出たてで数千万円していたと思います。四角いモデルでさえ、なかなか動かせない時代でした(笑)。
マシンもPCではなく、UNIXのWS(ワークステーション)を使って、機構設計、回路設計、プリント板設計などのCADのメンテナンスと設計支援を担当していました。モノ作り全般をここで叩き込まれましたね。
--:なるほど。そもそも学生の頃からモノ作りを目指していたのですか?
原:子供の頃から絵を描くことや図工が好きだったので、一番行きたかったのは実は美大だったんです。ただ僕は養護施設で育ったので昼の大学には行きようがなかった。また色弱だったためデザイン系は難しかった。科目では理数系が得意だったので、先生からも就職を考えたら美術で食っていくのはキツいと言われ、経営工学のソフトウェア工学に進んだのが今に至るきっかけですね。
--:絵が好きで理系とはこの業界にピッタリですね(笑)
原:数学が得意だったので、理学部にも興味がありました。ちなみに東京理科大学には推薦入学でした。貧乏だったので、一発勝負という感じで…(笑)。
--:昼は製造の現場で働き、夜はソフトウェア工学を学ばれ…この経験は、そのまま現在に至るベースになっているのではないですか?
原:そうですね、モノ作り全般が好きなので、正直チップマウントなどのハンダ付けも上手いです(笑)。電子工作も好きで自作PCは相当作りましたね。それと当時、格闘技にもはまっていて、一時本気でプロの格闘家になるつもりで大学をやめてしまったんですね(笑)。ただ諸事情あり、最終的にはCAD/CAMのスキルが生かせる道で就職することになりました。
●新人エンジニア時代からスピード出世
--:最初の会社は1992年のグラフィックプロダクツ入社ですね。
原:はい、最初は技術部で機器の納品の仕事からでした。クレーンの玉掛けなど現場の特殊免許を持っていたので、当時は金型屋さんなど顧客先にWSごと納品して、その設置などを行っていました。その後開発部に異動になりました。
グラフィックプロダクツは、工作機械を動かすNCコードをプログラミングするためのソフトの開発を行っていたのですが、そこから本格的な3D CAD/CAMの開発に取り組み始めた頃です。当時はソフトの仕様策定やマネージメントなど、開発部門でのマネージメント全般をやらせていただきました。お客様は樹脂系の金型屋さんが多かったですね。
開発部門でしたけれど、割とユーザー先には出向いていました。前職でマシニングセンターも扱っていたので、ユーザーと同じ目線で話ができる開発者として重宝がられていたのだと思います。ユーザーニーズを吸い上げて仕様に盛り込むことを行っていました。
--:そして1999年にはリアルファクトリーの社長に就任。入社7年で社長!
原:当時、ローランド ディー.ジー.さんが10万円くらいの「MODELA」を出されて、それが衝撃的でした。その頃は3D CADでデータを作っても外注に出さないと手軽に立体化できませんでしたから、設計者の机の上に「MODELA」があれば、モノ作りが変わるかなと思いました。そこで「MODELA」用のソフトが作れないかなと思い立ち上げたのがリアルファクトリーです。
--:そのソフトが「Craft MILL」ですね?
原:はい、当時数千万円していた高精度な金型用CAD/CAMソフトCam-TOOLのコアエンジンを使って、設計者でも初心者でも使えるソフトが作りたかった。そこで非金型用で幅広くいろいろな人が切削加工で立体物が作れるソフトの企画を社内に出して、そのための別会社としてリアルファクトリーを設立しました。
当時はミッドレンジのSolidWorksなど3D CADの普及期で、なかでも衝撃的だったのが「Rhinoceros」でした。NURBSモデラーでありながらソリッドにも対応する、低価格かつ高性能なこのソフトを見て、CADの開発についていろいろと考えさせられましたね(笑)。
これからのモデリングは、Rhinocerosなど目的に応じたCADをマルチに使うことで3D化がどんどん進んでいくだろうと思いました。そこでリアルファクトリーは「机の上でモノ作り」をコンセプトに、切削用のCAMソフトによるモノ作りの民主化を推進していきました。「切削RP」という造語を考えたのもちょうどこの頃です。
「Craft MILL」によるビジネスは僕の中ではある程度の成功体験だったと思っていますが、サラリーマン社長だったので、本社に戻されてIR担当になりました。仕事の大半は市場調査はもちろんですが、公開会社のIR担当として、機関投資家回りから、会社説明会の開催など、経営の勉強もでき、考えさせられることは多かったです。1年やってみたのですが、自分はこの道ではないなと自覚したので、会社を辞めることにしました。
●ケイズデザインラボの12年間
--:そして、ケイズデザインラボの設立となります。
原:実は何の当てもなく辞めたんですね、次は何をやろうかなと思いつつ(笑)。これまでCAD/CAMユーザー、試作の現場、CAD/CAMの開発など経験しましたが、ソリューション販売はまだやったことがなかった。ちょうどその頃、3DスキャナやFreeFormが出てきて、またモノ作りが変わるかもしれないと直感しました。そこでご縁があって牧野フライスグループの商社、関東物産に入社し、ソフトウェア販売中心の子会社として、1人で始めたのがケイズデザインラボです。それが2006年です。
--:ケイズさんではソリューション販売に限らず、いろいろ展開されていました。
原:最初は大変でした。当時お付き合いいただいていた商社にご支援いただき、まずは機材販売から始めました。FreeForm、3Dスキャナ、一部3Dプリンタなど、自分でデモして見積もり書いて…と、とにかく大変でした。また、ソリューションの提案を行うにはそういった機材やシステム間をつなぎ合わせる運用ノウハウの必要性もあり、使い方を含めて、最適なソフトウェアの選択を徹底的に研究しましたね。
次に街中の3Dプリントショップ、サービスビューローを立ち上げました。最初は鳴かず飛ばずでしたが、2010年には大阪、名古屋にもサービスビューローを作りました。その時にケイズは関東物産と離れ、当時は顧客でありサービスビューローのいわばフランチャイザーだった大阪の石油卸会社の傘下に入りました。ビューローでは石膏タイプのカラープリンタを最初期から使うなど、かなりチャレンジングなことをしていました(笑)。
--:サービスビューローは早すぎた印象もありました。ケイズといえばFreeFormとデジタルシボが印象的です。
原:当時、FreeFormは純粋に技術者目線で見て、ソリッドでもサーフェスもあり、ボクセルと触感デバイスによる唯一無二のモデリングツールでした。そこに惚れ込んで、新しいモノ作りを提案していました。
デジタルシボは、例えばCADでデジタルでモノ作りをしていくのに最後だけアナログのシボ屋さんに依存せざるを得ず、自分でシボのデザインがしにくかったこと。また、シボは特に3Dデジタル化が進んでおらず、ここに何か課題解決の必要があるんじゃないかなと。それとやがて3Dプリンタの時代が来ることは確信していたので、シボなど表面のテクスチャーも、最初から3Dデジタル化をする必要があるだろうと考えていました。
ケイズは僕がいた12期中、機材販売の利益率に支えられて、そこそこやってこれました。
--:そして2017年に突然の新会社設立ですね。
原:正直、販売会社をやっていて僕自身に限界を感じました。商品を卸すことにセンスはないなぁって実感していましたし、販売会社の経営に向いていないことに気づいていました。もともと研究開発やモノ作りが好きだったのですが、ケイズでは常に利益を出すことを優先せざるを得ないというジレンマとの戦いでした。会社経営者としては当たり前のことなんでしょうけど。とにかく、僕自身がこれ以上ケイズを牽引するのは難しいかなと判断し、辞任させていただくことにしました。
東京・池尻大橋にあるデジタルアルティザンで話を聞いた。 |
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●2017年からの活動
--:現在はデジタルアルティザンとデジネル、そしてエクストラボールド、3つの会社の社長を兼務されていますが、それぞれの業務内容をご説明いただけますか? 例えば、1つの会社で3つの事業を行うようには何故しなかったのでしょう?
原:過去の経験から、そもそも20人以上の会社になると、経営センスがまったくないので管理できないんです(笑)。また職種によって、例えば販売と開発で、給与面の評価など軋轢が生じることもあるんですね。それと自分の仕事に対するモチベーションを同じように社員に押し付けるのはお互い不幸だなと。ですので、今回は企画だけの会社と、技術者を集めて開発、検証をメインにする会社に分けたかった。
デジネルは自由な個人商店的に、コンサルティングや企画を中心とした自分だけの会社にしました。これまでサラリーマン社長でしたので、自分の会社を持ちたい気持ちもありました。
デジタルアルティザンは、ケイズから一部R&D事業とテクスチャー事業(D3テクスチャー/デジタルシボ)を買い取りました。資金が必要ということで、一緒にやらないかと声を掛けていただいたのが、孫泰蔵さんです(ソフトバンク孫正義氏の実弟)。孫さんが率いる投資会社Mistletoe社に47%出資していただいて設立しました。
デジタルアルティザンは全員副業OK! で、フリーランスのメンバーも多いコミュニティ型の会社です。一本立ちができている「デジタル職人」の集団で、そういう人をもっと増やしたいと思っています。そしてデジタルアルティザンでは、デジネルで企画した案件や企業からの依頼の案件の実験・検証を行うチームとして活躍してもらってます。
--:「デジタル職人」というのは、エンジニアやモデラー、CADオペレーターのことですか?
原:もっと職人気質の人材です。ソフトを操作できるだけではこれからの時代に合わないと思っていて、デジタルの道具を自在に使いこなせる人材を育てたい。
--:職人さんというと、専門分野の伝統や伝承された技を背負っている人をイメージしますけれど、デジタル職人も専門職となりますか?
原:アナログから入ってくるアルティザンにもデジタル化を推進しています。たとえば、今、木工職人もいるのですが、木工職人がデジタルツールをマスターすると一気に開花するんです。アナログ、デジタル関係なく、アルティザンとして、両方の道具を使いこなせる人材を増やしたいですね。
アルティザンってヨーロッパなどではアーティストとはまた別の職種に分けられていますが、もともとはアーティストから分かれた職種で、アーティストやクリエイターの抽象的な言葉や意味をちゃんと読み取って実体化する人だと私は理解しています。そういう役割は、これから特に重要だと思います。デジタルアルティザンは職種として、今後さらに社会的地位が認められるべきと考えます。
本来、職人はその当時の最新の技術や道具を用いることでより進化させてきたと思っています。常に進化し続けるという点でデジタルツールを用いることは必然だと思います。過去の伝統的な技術なども、デジタル化することで次に伝える(伝承する)ことが容易になると思います。
--:なるほど。経営的にデジタルアルティザンはどういったビジネスモデルになるのでしょうか?
原:1つはクライアントワークになりますが、テクスチャーデザインなどの仕事。もう1つはコンピュテーショナルデザインやジェネレーティブデザインの業務。この分野はまだ人材は少ないので、企業と共同研究開発や先行デザインなどの仕事を支援したいと思ってます。
またデジタルアルティザンはクライアントワークよりも、研究そのものをビジネスにしたいと考えてます。世界中のあらゆる研究ネタをかき集めて、それらを組み合わせて社会の役に立つものを作る。できるだけ完成品に近い段階まで作って、あとはそのシステムや事業をビジネスパートナーを見つけて売却していく。これらを僕なりの解釈で「ラボドリブンビジネス」って呼んでいます。
--:もう1つ、エクストラボールドはどのような位置づけでしょうか。
原:エクストラボールドは投資会社Mistletoe社の100%子会社となります。製品作りをデジネルが企画し、デジタルアルティザンが支援して、その開発したものを販売するメーカーとして立ち上げているところです。
エクストラボールドでは、特殊な大型3Dプリンタを開発中で、先々はベネフィットのあるパートナーさんや投資したい方を募って、ハードウェアメーカーとして大きくしていきたいと思っています。
あらためて3社の関係を端的に説明すると、デジネルは企画会社、デジタルアルティザンは人材育成、エクストラボールドはハードウェアの開発・販売メーカーとなります。
--:エクストラボールドの3Dプリンタのターゲット市場はどの辺でしょうか?
原:工作機械市場に近いですね。いわゆる個人向けのファブリケーションツールとは異なり、本格的に産業用途にフォーカスしています。3Dプリンタメーカーさんや工作機械メーカーさんにも開発メンバーに入っていただき、デジネルで企画、コンセプトを固めて、デジタルアルティザンで実験検証し、エクストラボールドがメーカーとして、プロユースの工作機械として開発、販売をしていきます。
奥にあるのがエクストラボールドの大型3Dプリンタ。(クリックで拡大) |
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人体を複数人一度にスキャンできる大型3Dスキャナも設置されていた。(クリックで拡大) |
●これからはマス・カスタマイゼーション
--:3Dプリンタは、大きくデスクトップ、パーソナル市場と産業用途に分けられますが、まずパーソナル市場の現状はいかがでしょうか?
原:3Dプリンタが当たり前になりつつある中で、もう3Dプリンタで作ったということだけではまったく売りにならない時代ですね。
我々も1つのソリューションとして、ネイルチップ専用のスキャナを開発して、光造形タイプの3Dプリンタでネイルチップを作るという、お客様が自分にぴったりで好みのデザインを作れるネイルチップシステムを構成し、CES2019で試験的に出展してみました。
これは3Dプリンタありきではなくて、たまたまこのマス・カスタマイゼーションのソリューションに最適だったから3Dプリンタを使っているというわけです。これからは、このような、できれば「テクノロジーファーストではないソリューション」で、新しい市場の創生を含めて提案していきたい。
大量生産ではできない、マス・カスタマイゼーションのシステムを、コスト感を含めて流通できるか、社会実装できるかが課題だと思っています。いままでの大量生産モデルはもう日本では適さない場合も増えつつあり、今後はパーソナライズされたものも求められてくると思います。
高齢化社会、いや、すでに高齢社会ですね、日本は、高齢社会の最先端モデルになります。そうなると、今後はより個人に寄り添ったものが必要になってくると思います。介護や医療の現場などで、義足や器具といった大量生産ではできないものを3Dプリンタによって解決できると思います。そのデータ作成などでデジタルアルティザンの活躍する場面がもっと増えるでしょうし、デジネルはそれをビジネス流通させる企画を提案していくことになると思っています。
--:では産業用途はいかがでしょう? いずれ3Dプリンタは金型に代わる存在になりえるでしょうか?
原:全部が変わるわけではなく、目的やコストバランスで生産方法も棲み分けると思います。
--:3Dプリンタは産業用途においても大量生産系より、多品種小ロットの製品作りに適しているということでしょうか。海外では自動車、飛行機のパーツなどに組み込まれてきているようです。
原:そうですね、現段階では大量生産の現場でも、たとえば治具などは3Dプリンタのニーズがあると思います。ただ、直接製品に3Dプリントしたものを使うとなると、日本の場合は国の法規の問題もあります。今後、国のルールとともにあらゆる産業をどうやって活性化させるかを国も企業も真剣に考え、実行に移すべき時期なのではないかと思っています。
--:世界市場の中で、日本は3Dプリンタの導入、活用が遅れていると言われています。新規市場や新規製品には導入しやすいですけれど、従来の生産システムに食い込んだり、リプレースしていくにはまだ時間が掛かる印象です。
原:そうですね、全体的にどの業界もコンサバティブ、保守的ですね。それと消費者の目が厳しすぎるというのは感じますね。ほんのちょっとの段差やバリが気になるという、消費者偏差値が高すぎますよね。特に日本人は(笑)。なんというか、アメリカは訴訟文化ですが、日本はクレーム文化ですよね?(笑)。3Dプリンタの本質的な価値がもっと理解してもらえるといいんですけどね。
--:一般のユーザーほどオーバースペック指向で、クオリティを求める傾向があります。
原:表面の積層の段差を見ただけでダメとか。例えばアメリカはDIY文化、ガレージ文化なので自分たちで必要なものを手作りすることを楽しんでいる。ヨーロッパも自分の部屋をリノベーションするなど楽しんでいる。日本は仕事中心で時間の消費も真面目すぎて、余力もないしDIYを楽しむ人って比較的少ないと言えるかもしれません。それに日本は、100円ショップで、そこそこのクオリティのものが買える便利な環境ですしね。そのあたりの環境の違いが、大きな壁になっているかもしれませんね。
●3Dプリンタ市場の今後の展開
--:では、今後の3Dプリンタのトレンドはどのようになっていくとお考えですか?
原:CESではコンシューマにおいての3Dプリンタはだいぶ認知されました。あとは中国の安い製品などでレッドオーシャンになってきてますね。市場としては産業用途は伸びるでしょう。
コンシューマ系のトレンドはオフィスや家庭に置けるミッドレンジクラスだと思いますが、やはり日本では難しいかもしれません。日本の製造業の技術レベルは非常に高いので高品質の製品ばかりですし、また樹脂製品などは3Dプリンタで出力するより100円ショップの製品をアレンジして使った方がてっとり早いでしょうしね(笑)。
日本はとにかく便利なので、3Dプリンタが自然に生活に浸透していくのは難しいと感じでいます。先ほどのネイルチップのようにソリューションを提案した方が現実的かもしれません。
--:モデリングのスキルを一般の人に求めるのは難しいでしょうし。
原:必要に迫られないとなかなか伸びないと思います。モデリングではなく3Dスキャンしたデータがそのまま3Dプリンタで造形できるかというと、まだまだそうでもないですし。例えば、料理は食べるのが好きだけど、作るのは興味ないという人多いじゃないですか? それと同じで、誰かが作った特別のモノを買いたい人は多いとは思います。料理を作るのが好きという意味では、ハンドメイド作家の市場などに3Dプリンタが入り込める余地があるとは思っています。
--:例えばビデオカメラは、これまで運動会用途くらいで大きく普及しませんでしたが、SNSというステージができたことと相まって、スマートフォンのビデオ機能をみんな使うようになりました。同様にスマホに3Dスキャナーやスライスソフトを入れて手軽に造形できる時代が来ないものかと期待したいですけれど(笑)。家族や友だちのフィギュアや壊れた部品の差し替えなど、ニーズは後から生まれてくると思います。
原:もちろん僕らもそういった可能性を探りつつ、マス・カスタマイゼーションの時代を目指そうとしています。
--:では当面はB to Bメインのビジネスですか?
原:そうですね。ただ一方で、デジタルアルティザンの養成所というかジムとしての運営と並行して、ここに集まっている創作家、アーティストたちの作品のテスト販売もしていきたい。それと将来は一歩進んで、お客さんの作りたいモノの依頼にも応えたい。マス・カスタマイズのお手伝いと販売ですね。
--:数年前にデジタルファブ、メーカーズなどが盛り上がりましたが、現在は落ち着いた状況です。
原:そうですね。それを再度盛り上げるような仕掛けを作りたいとは思っています。3Dプリンタの出力品質も数年前より格段に上がってきていますので、あるレベルの臨界点を超えれば、いわゆるデジタルファブリケーションも自然に普及するんじゃないでしょうか。
ただ「家庭に1台3Dプリンタ」は、まだまだ先で…もしかしたらないかもしれません(笑)。イノベーティブな進化、あるいは何かもっとスゴイ仕掛けが必要なのかもしれません。
--:一般ユーザーは仕上がりのきれいさを重視しますから、表面処理、CMFとかも込みでメーカーが提案できれば面白いかもしれません。
原:そうですね、あとは、フードプリンタなど、別の切り口で生活に根付いた新しいビジネスモデルの提案をしてみたいですね。
広々としたデジタルアルティザンのフロア。奥では数人のアルティザンたちが作業をしていた。(クリックで拡大) |
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エントランスは展示スペースも十分確保できる。(クリックで拡大) |
●今の3Dプリンタの成熟度
--:現時点での3Dプリンタ全般の成熟度はいかがですか?
原:まだまだ改良の余地はあると思います。発展途上です。材料の進化も必要ですし、コストとクオリティの問題もまだまだ続いています。コンシューマ機でも数万円まで安くなってきていても、なかなか皆さん、買わないですよね。
--:数年前の3Dプリンタブームで、実際の出力物を見てがっかりした時のイメージを引きずっている人も多い気がします(笑)。今は格段にきれいなんですけれど。
原:100円ショップの射出成型品のクオリティが高すぎます(笑)。一般の人がそこを基準にされると、コスト的にも品質的にもまだ追いついていないかもしれません。
--:では最後に読者に一言お願いします。
原:今「DiGITAL ARTISANS GYM」をスタートしようと準備しています。子供たち、学生向けの教育はもちろん、高齢者、シニア層、あるいは副業としての活躍の場を求めている方の背中を押すためのトレーニングジムとしてやっていこうと思っています。
例えば社内でCADを使っているけれど、いざ起業や副業をする自信はない人など、ここで最先端のスキルを高めつつ、少しずつ実際のプロジェクトにも参加してもらうことで自信がつき収入にもなる。そういった最初のきっかけ作りと、さまざまなスキルや経験を持つ人たちの交流の場にもしたいと考えています。
そしてデジタルアルティザンたちのオリジナル商品も販売したい。そういった新しい業態のシステムを作りたい。個人会員も法人会員も用意する予定ですので、読者の方にもぜひ来ていただきたいです。4月に正式スタートの予定です。それまでは自由に遊びに来てください。
--:ありがとうございました。
(聞き手:pdweb/3DCreators編集長 森屋義男)
(2019年2月14日更新)
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